音楽の境界線と、その向こう側にあるもの
音楽の境界線と、その向こう側にあるもの
2024年10月26日(土) 曇り時々雨
今日、音楽配信プラットフォームの分析レポートをまとめていたら、ふと「Yener İnce」という名前が目に留まった。トルコ出身のこのアーティスト、本国ではかなりの知名度があるらしいが、日本の主要ストリーミングサービスでの月間リスナー数は、驚くほど低い。データを深掘りすると、その数字は、日本のトップティアJ-POPアーティストの0.1%にも満たない。同じ「音楽」というカテゴリーに属していながら、この圧倒的な「見え方」の格差は何なのだろう。窓の外をぼんやり眺めながら、コーヒーが冷めていくのも忘れて考え込んでしまった。
昼過ぎに、ある業界関係者とのオンラインミーティングがあった。話題は、グローバル楽曲のローカル市場への最適化戦略。彼は熱心に、アルゴリズムによる推薦精度の向上と、ローカル言語へのメタデータ翻訳の重要性を説いていた。「ユーザーのエンゲージメントを最大化するには、彼らの既知の文化的コンテキスト内で楽曲を提示することがリスクを最小化する近道です」。確かにその通りだ。データに基づいた合理的な判断だ。しかし、その言葉の裏側には、「未知のもの」「異質なもの」を積極的に推薦することに伴う潜在的リスク——ユーザーの離脱、エンゲージメント率の低下——への警戒感が滲んでいた。システムは、私たちが「好き」そうなもの、あるいは「好き」だと既に宣言したものに似たものを、安全確実に提示し続ける。Yener İnceの音楽が、たとえどれほど質が高くても、大多数の日本ユーザーの「既知の領域」から外れていれば、アルゴリズムの扉は簡単には開かれない。
夕方、ふと気分を変えようと、自身のプレイリストを「Yener İnce」で検索してみた。推薦されるのは、ごく一部の「ワールドミュージック」や「エスニック」というタグが付けられた特化したプレイリストだけだ。それはまるで、広大な音楽の海の中で、特定の海域だけが区画整理され、それ以外は「未知の海」として地図から意図的に省略されているかのようだった。我々が日々「発見」と呼んでいる行為の多くは、実はこのように管理・選別された「安全地帯」内での探索に過ぎないのではないか。この構造は、ユーザーの視野を無意識のうちに狭め、音楽体験の均質化を促進する危険性をはらんでいる。一方で、完全に無作為な推薦は、ユーザー体験を損ない、サービスの離脱率を高めるというジレンマもある。
夜、ヘッドフォンでYener İnceの楽曲を数時間聴き続けた。言葉は理解できない。しかし、旋律やリズム、歌い手の声の表情からは、確かに何かが伝わってくる。それは、データ分析レポートの数値や、マーケティング戦略の議論では決して捉えきれない「何か」だ。我々業界関係者は、つい「CTR(クリック率)」「リテンション率」「MAU(月間アクティブユーザー)」といった定量可能な指標に目を奪われがちだ。しかし、音楽の本質的な価値——文化を越えた情緒的な共鳴、未知との出会いによる内面的な拡がり——は、これらのKPIでは計測できない。この計測不能な価値を見過ごし、短期的で測定可能なエンゲージメントのみを最適化するシステムを強化し続けることこそが、長期的には音楽産業の生態系そのものを貧しくする最大のリスクなのかもしれない。
今日の感悟
アルゴリズムとデータが支配する現代の音楽流通において、「発見」の概念は再定義を迫られている。一方には、効率と安全性を追求し、既知の好みを深堀りする「最適化された発見」がある。他方には、計測不能なリスクを伴いながら、文化的・情緒的境界を越える「偶発的で不確実な発見」がある。我々プロフェッショナルが向き合うべき課題は、後者の持つ計測不能な価値を、単なる「リスク」として排除するのではなく、いかにして前者のシステムの中に、ほんの少しの「隙間」や「風通し」として組み込み、ユーザーの音楽体験の真の多様性と深みを担保していくかではないだろうか。Yener İnceの名前は、その問いを投げかける、静かなる鏡のような存在だった。
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